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玉川上水 - 羽村取水堰 [BLOG]


土曜日に羽村取水堰から小平監視所まで歩いてきました。
羽村—拝島間は歩いたことがない、という理由だけで。
右が多摩川。左が玉川上水。


ここから玉川上水を使って江戸市中へ水を引いていました。


小平監視所までは今も現役の上水道なんです。


玉川兄弟の像。玉川上水の成功で「玉川」の姓を名乗ることを許されたそうです。
上水道の方が先に「玉川」だったんですね。


この辺りでは玉川上水が水路であることがわかります。
春には桜が綺麗です。


民家の間を抜けていきます。
遊歩道のようなものはなく、上水沿い歩くことはできません。


「みずくらいど」公園。この辺りの土は水を吸ってしまって、失敗して掘り直すことになりました。


公園の奥にその失敗の跡が残されています。


最初の開削工事と現在の玉川上水。矢印のあたりが公園です。


で、拝島駅。


この先は上水沿いを歩くことができます。

去年歩いたのは、拝島駅から下流。
http://seeding.blog.so-net.ne.jp/2007-11-27
http://seeding.blog.so-net.ne.jp/2007-12-01


羽村取水堰で見た物


ヒメツルソバが南側の石垣にたくさん咲いていました。


あたたかさにうっかり出てきてしまっただろう虫も。
葉っぱにしか見えませんねー。
アケビコノハでしょう。左が頭。
コメント(12) 
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コメント 12

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satuki

江戸時代の水路が役に立っているのですか、水を喰らう地質に遭遇したり
難工事だったのでしょうね~

by satuki (2008-12-17 01:13) 

cocoa051

そのむかし、水路を造るのはたいへんなことだったでしょう。いまみたいに大型の重機があるわけじゃないし、人の力と小さな道具くらいだったのでしょう。そう考えてみると、すごいことですね。
とても素敵な歩き方ですね。江戸時代にタイムスリップして、その時代を生きた人たちの様子が分かってきそうですね。
by cocoa051 (2008-12-17 04:30) 

mimimomo

おはようございます^^
なんだか『へ~』っと言う感じ。こう言うものがあるのですね~
玉川は元々地名だったのかしら・・・それが上水路の名になり、人の苗字になった・・・
側の道を歩けなくって、よく歩かれましたね~ わたくしだったら途中で道に迷うかも~ 
山道のほうが迷わない^^
水喰土って、つまり土が軟らかいのかしらね~ 結構な難工事だったのでしょうね~
この蝶々《蛾?》ほんとうに葉っぱみたいなんですよね~知らないうちに踏んづけそうで・・・^^
by mimimomo (2008-12-17 05:02) 

ゆきゆき

おやおや!!懐かしい影像有難う御座います。羽村大橋の河原でカワラノギクをよく撮りに行きました。玉川上水縁や青梅街道もよく歩きました。
by ゆきゆき (2008-12-17 07:18) 

ゆきゆき

青梅地方に「玉川」の姓の家があり、「玉川神社」もあります。家康が府内に引き込んだ神田川の水守に「主水」(もんど)の姓を与えたと同じことでしょうか。
by ゆきゆき (2008-12-17 07:28) 

めりっさ

玉川上水について予備知識が何もなかったので、ちょっと他のサイトも見て玉川上水の歴史のお勉強してきました~(^^;) 江戸時代にずいぶん大きな水道事業を行っていたのですね!!
以前、高円寺に住んでいたことがあり、水道水が結構おいしかったのですが、これも玉川上水のおかげだったのかしら?!と納得しています~。

ヒメツルソバは遠くから見ると結構濃いピンクに見えるのは、茎が赤いせいなのですね。アケビコノハ、よく気付かれましたね!



by めりっさ (2008-12-17 07:45) 

こぎん

こういうテーマをもった散策っていいですね。
川の源流とか山の頂上とか・・・気になりますもんね!
アケビコノハ、見たことないんですよ。
見たとしてもすっかりだまされているかもしれません。
見事な擬態です!
by こぎん (2008-12-17 07:48) 

achami

遠足などで行ったことあるのかなぁ〜って、振り返ってました。
でも、記憶があいまいで(^^;;

最後の・・・虫なの!!
きっと、踏んじゃうなぁ〜。
by achami (2008-12-17 12:52) 

puripuri

こちらの兄弟さんの指導のもと作られた? 当時はさぞかし苦労されたでしょうね。
アケビコノハ、、ほんとに言われなければ葉っぱだわ。これって蝶?ガ?
by puripuri (2008-12-17 19:58) 

HEIJI

satukiさん
測量も工事も大変だったと思います。でも、8か月で掘ってしまったようです。すごいです。
それが今も使われていることもすごいです。

cocoa051さん
いろいろ道具はあったんでしょうが、基本手作業だったでしょうね。
失敗した時、物凄くがっかりしただろうなあ、とか思いながら「水喰土」の名前を見ていました。

mimimomoさん
多摩川、玉川上水、多磨霊園、「たま」はこのあたりにはるか昔からあった名前のようです。
普通のバス通りみたいな道をジグザグに歩きました。この区間は散策に向かないですねー。時々橋を渡って、また普通の道を歩くことの繰り返しでした。
どんな土なのかは案内板にも書いてありませんでしたが、他の場所は大丈夫だったんでしょうかね。

ゆきゆきさん
玉川上水、草花は下流の方が良さそうですね。春はまた違った表情なのかもしれませんね。(今頃の季節しか来たことがないんです)
「玉川」は由緒ある名前だったんでしょうね。「たま」の漢字が今も複数使われているので歴史を感じたりします。

めりっささん
杉並だったら善福寺の水(地下水)が混ざってたからかも。
江戸(今の東京の中心部)は飲み水の確保が大変だったらしいです。
ヒメツルソバの茎ってこんなに赤かったかなー、と思ってます。
いつも見ているようで、ちゃんと見てなかったのかも・・。
木の葉が垂直にくっついていて、変だなとまじまじ見るとこいつでした。

こぎんさん
何かを辿る散策って好きなんですよ。川とか。いつか河口から源流まで辿ってみたいです。
アケビコノハはコンクリートのベンチにいたので見つけられましたが、落ち葉に紛れていたら絶対わからなかったと思います。

achamiさん
遠足で行ったんですかー。あー、でも子供にはあまり面白くないかも・・。
アケビコノハ、これなら虫嫌いな人でも大丈夫かと思って(^^;

puripuriさん
このふたりが中心だったようですよ。
地形をうまく利用して開削したそうですが、えらい大変な事業でしたでしょうね。
アケビコノハはヤガ科の蛾です。
幼虫も目玉模様が特徴あって個性的なヤツです〜。
by HEIJI (2008-12-18 00:45) 

sanjinsai

私の家から多摩川沿いに出て、羽村まで行って折り返すとちょうど100キロくらいあります。数年前は自転車で良く行ったものです。
by sanjinsai (2008-12-21 15:01) 

HEIJI

多摩川沿い、自転車ならいいですよねー。
自分もいつかやってみたいコースです。ウチからならもう少し短いかな。
by HEIJI (2008-12-21 21:54)